2024年9月5日木曜日

令和六年台風十号の話と受洗された兄弟と突貫稽古の話

 令和六年九月一日

先週は、優柔不断で決断力の欠如した男のような動きをする台風十号に振り回された一週間でしたね。

これを書いている今(日曜日の路傍伝道の前)天気アプリを確認したところ、もう、台風ではなくなっていました。

「なんや、もうちょいシャンとせい」と、言ってやりたいですね。

あっちふらふら、こっちふらふら。

これから後に、優柔不断で成り行き任せの人が、「あの人は令和六年台風十号みたいな人だ」という言葉が流行ったら、このブログがオリジナルです。

家を出た時には、日差しが暑いくらいでしたので、今日は、雨は降らない方に賭け、足袋靴で、雨具であるポンチョを入れて家を出ました。

教会に着くまでは雨は降らず、賭けは勝ったかのように思いました。

しかし、私は、メジャーリーグの大谷選手の元通訳の方や、大手製紙会社の元社長のようにギャンブルのセンスがないのか、帰宅の時間帯に銀座は大雨。

幸い、ポンチョのおかげで濡れ鼠になることはありませんでした。

今日は、久しぶりに大所帯での礼拝でした。

いつもは、息子と礼拝をするのですが、今日は先週受洗した兄弟が来られたので、彼の面倒を見るために、途中から席を変えました。

私もいつも席は固定で礼拝をしているので、たまに別の席に移るのも良いですね。息子も一人で礼拝をお捧げできることがわかりましたし、子どもの成長にハレルヤですね。

神野姉妹がご友人を連れて礼拝に参加されました。ご友人は以前も参加された方でダンスの上手な方々です。是非とも、東京聖会にも参加してほしいですね。

メッセージ

今日は「聖書箇所」から聖餐式について語られました。

① 主イエス・キリストの救い主の十字架と復活の記念!
② 聖霊降臨と教会誕生の証し
③ 主キリストの教えに従う誓い
④ 教会に属する人の交わりのしるし
⑤ しるしと不思議、力あるわざでもたらすきっかけ

礼拝の後

PBF、今日は月初で、松山との連携がありました。


山下兄弟が、東京聖会のための練習で、踊っていました。

カメラの位置について、まだどこが適切なのかがわかっておりませんので、今回は、後方を両脇に持ってきて確認をしました。

左後方のカメラは、右後方と同じ位置に置いておくより、入り口脇とか、もうちょい前に置いておくのが良さそうです。

その後、会堂での食事の時間がありました。


十六人近くの人で食事ができるのはハレルヤです。

うちの息子は、塾で模擬試験があったので礼拝中に帰ったので、準備を率先して行う者がいなくて、息子の奉仕が役に立っていたことがわかりました。

その後、東京聖会の手話賛美や特別賛美、その他の賛美の練習をしました。

昨年は、6月頃から少しずつ稽古を進めてきたので自信を持って、臨めましたが、今回は、曲数が多いのですが、突貫稽古で臨む感じです。

個人稽古が必要ですね。

手話賛美は、見本を見ないでもできるようにしないと、人前に立って恥をかきそうですね。

その後、私は菅野先生の路傍伝道に加わりました。

今日も、「福音を語る」によく来られる兄弟がメンバーに加わっていました。

歌こそ歌いませんでしたが、ただチラシを撒くのではなく、福音を伝えるためにトラクトを渡す方法を模索しています。

ちょこちょこ声掛けをしながら渡すようにしています。

今週もハレルヤでした。




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