令和七年一月十一日
今日は、ユニークさんの403号室をお借りしての礼拝でした。
今日のメッセージは、創世記十二章一〜三節の箇所から今年のテーマである「恵みの震源地」に関して、以下のポイントで語られました。
- 主キリストと共に歩む人生の旅路
- 主が与えてくださる、豊かなスケールの恵み
- 主からの恵みで祝福される周囲の人々
久しぶりのデジタル以外のものづくり
帰りに銀座の伊東屋に寄り、スケッチブックを購入しました。
これは、路傍伝道の時に用いるためのツールを作成するためです。
さすが伊東屋、種類は豊富 |
私は、礼拝に参加して賛美していることで、歌は多少は歌えるようになりましたが、路傍伝道ネットワークの菅野牧師のようにピンで何とかできるほど訓練もされていないし、楽器の心得もないので、賛美以外で伝道をできる方法はないかと思案をしていて、示されたのは、「大人の紙芝居」伝道方法です。
紙芝居については、TFCが献堂された頃に、いのちのことば社の紙芝居のPDF版を購入し、子ども用の動画を作成しました。TFCには息子を含め数人しかおらず、一、二回利用されただけで、購入しておいた紙芝居PDFは塩漬けされていました。
だいぶ懐かしい感じですね |
ちなみにこの時の、紙芝居動画のアイデアは、生中継の奉仕の経験を経て、そのまま聖書通読ライブの動画のアイデアに進化し、私のWeb界隈の伝道活動に用いられています。
紙芝居がVTuberに進化 |
よかったらチャンネル登録よろしく。 |
いつもそうですが、ものづくりは最初から完成品を求めず、今イメージしているものを実際作ってみて、どれだけ想像と乖離しているかを確認します。
いい感じなので、文章を大人向けにアレンジすればOKそうですね。
そして、紙芝居のように一枚一枚バラバラだと、風に吹かれて飛ばされることを考えて、まとまっている、スケッチブック型の紙芝居の方が良いという考えです。
個人伝道のチャンス
今年は、新年の明治神宮の路傍伝道の時や、今週もそうですが、チラシを渡していると、話しかけられて会話をすることが続きました。
話しかけてこられた方は両者とも、宗教に関しては博識なようで、表面的な知識は豊富な方でした。
しかし、会話をしている中で、その人の宗教の知識の中心に神様がいないことが感じ取られました。宗教の知識があることはいいことですが、その真ん中に神様がいないので、語られることは荒唐無稽なことか、どこかの本に書いてあるようなことばかり。
言うなれば『ドーナッツ人間』ですね。
おそらく宗教に興味があるということは、何らかの餓え渇きがあるのでしょうが、求道のプロセスが間違っていたのか、知識は得られても神様に出会うことがなかったんだろうと感じました。
エチオピアの宦官が言っていた、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう(使徒8:31)」という、その意味がわかったような気がします。
今日会話をした方は、会話をしていて、心に寂しさがあるように感じましたが、知識が神様を受け入れる邪魔をしているようでしたので、無理に押し付けるのではなく、「私は来週もいるから、またね」と、言って別れました。
人生に迷っている人、心に虚しさがある人、自分で何とかしようとするのではなくて、「餅は餅屋」、「救いのことは伝道者」に頼ってくださいね。
今日のカレンダーに書いておく恵みは、これですね。
今週もハレルヤでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿