2023年7月23日日曜日

何事もやり抜くのは、楽じゃない

 令和五年七月二十日

今日は、お昼頃にTFCに銀座出勤して、仕事をしながら、生中継の準備をしていました。

この日は、ミーティング続きで、開発作業などはなかったため事務所で作業をしました。外気温が三十二度でしたので、クーラーをかければあっという間に寒くなり、つい先日の三十九度の時に比べて室内での作業が楽でしたね。

三十九度を記録した日は、自宅で作業をしていても、エアコンが効かない効かない。二十四度設定で、ようやく涼しさを感じるくらいでした。外に出れば、坊主頭は暑いし、おでこや、頬骨には、コテを当てられている様な暑さを感じ、風は、熱風といった感じで、外に出るのも大変な状態でした。

聖書の中に、夜中に旅人が訪ねてくるというたとえ話が載っているのも納得な一日でした。

集会参加者とのおはなし

今日の集会には、先月洗礼を受けられた兄弟が来られており、少しお話をさせていただいたところ、私の出身地の海老名と同じ神奈川県の県央地区の相鉄線沿線ご在住ということをお伺いしました。

その方は、海老名の旧名 農業大学校(大学校と書いて、専門学校)現 神奈川農業アカデミー に、通われているそうです。駅から遠いので、バスで結構かかるのが特徴です。

農業でもITでも時代に合わせて学び、変化していくことは大切です。

神奈川の県央地区で相鉄線沿線というのは、ちょっと前まで都心までのアクセスがとても悪く、時間のかかるものでしたが、今では、直通運転があり一本で来ることができるので、アクセスも良くなったので、日曜の礼拝にも参加してほしいですね。

「ハレルヤ子ども食堂」

今日の集会には、松山の教会の喜安兄弟が来られていました。いつも、聖書通読や、献金のお祈りでディスプレー越しに拝見していましたが、リモート会議あるあるですが、「ディスプレー越しだと小さい印象を得る」がこちらにも適用されていた様で、だいぶ、貫禄があり大柄な姿に、喜安兄弟だと言われるまで気が付きませんでした。

今日は、松山で行っている、「ハレルヤ子ども食堂」に、行政からの補助金が受けられる様になったということで、受け取りに来られていたということでした。

「ハレルヤ子ども食堂」は、喜安兄弟の発案で始まり、最初は4、5人くらいしか集まらなかったそうですが、今では、後期高齢者や、多くの方々を受け入れる様に用いられています。その働きが評価され、補助金を受けることができる様になったということはハレルヤですね。

今日の集会

Youtubeの集会のライブを見ていただければお分かりになると思いますが、ようやく、アクティブカメラの使い方に慣れて、固定カメラ二つと移動カメラ一つの三カメ体制での運用ができてきました。

今日、中継の後半にのお祈りの時間に目を瞑ってお祈りしていたところ、アクティブカメラのバッテリーが切れ、連携装置のプレースフォルダーの画像になっていました。
運良く、中継画面に表示していなかったのでことなきを得ましたが、中継の奉仕をする時には、目を瞑ってはいけませんね。

あと、ビデオカメラのバッテリーが二時間程度しか持たないということが分かりましたので、それも良かったですね。

ハレルヤです。

中継の奉仕をする人は、集会に参加するよりもカメラの向こうの集会参加者のために集中して奉仕する必要がありますね。

集会後のフェローシップの時間

今日は、集会に参加してくださった姉妹が、鰻丼を八人前差し入れをしてくださったので、皆で分けて感謝していただきました。
この時間に、今年神学校最終学年の佐藤姉妹の卒業検定集会?についての話があり、神学校の卒業では、卒業論文を書くか集会を行ってレポートを書くかの2択で卒業検定があるそうです。

今までは、九月の東京聖会の時に合わせて集会を行うという計画で進めていました。

万代先生から「教会の集会ではなく、佐藤姉妹の人生で出会った人たちに参加していただいたり、手伝っていただいたり、全部、自分でお願いして進める必要がある。集会の形式も変に宗教宗教しなくてもいい。とにかく、自分が、献身して生きていくことの決意表明式になるのが一番大切だ。」と、なかなかタフなオーダーがありました。

ある意味、一番大変かもしれませんが、しがらみなく集会を行うことができる一番良い形ですね。

僕だったら、

卒業論文を書くかな〜。

そっちはそっちで大変そう・・・
まぁ、何事もやり抜くのは、楽じゃないですよ。

東京の姉妹方でも神学校の授業を受けた方がおられますが、牧師コースを卒業間近まで至ることのできた方は佐藤姉妹だけなので、頑張ってください。お声がけいただければお手伝いします。

TFC一周年の集会は、またこれから1から計画を練り直しますので、乞うご期待です。
今日の集会もハレルヤでした。


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