2024年6月3日月曜日

ひばりが丘の野田牧師も読んでたこのブログ、西田牧師の前夜式とパプリカ

令和六年六月二日
数日前にさかのぼる。

時枝兄弟から、浅草の東京ホープチャペルの西田育生牧師が召天されたという訃報がもたらされました。

私にとっては、昨年の坂出の全国聖会の時の朝の聖会前にご挨拶をしただけしか、接点はありませんでした。

西田牧師は、私が東京福音センターの生中継の奉仕でいろいろ工夫をしているということを御存知でしたので、お声掛けくださいました。
「今度、浅草にもおうかがいしますね~」と、言っておきながら、昨年は夏を境に全国聖会、TFC献堂1周年記念“東京聖会”、クリスマス会、佐藤姉妹のアンデレ宣教神学院卒業集会と、大型集会が目白押しで、それと礼拝と“福音を語る”の奉仕があったので、後回しにしている間に、西田牧師が召天されてしまいました。

なんでもそうですが、後回しにするのはよくないですね。

今できることを後回しにするのは、聖書にも書かれていますね。
ルカ九章五十九節付近に、イエス様が私について来なさいといわれたときに、「暇乞いに行かせてください」「父の葬式が終わったら」とかといろいろ言い訳をしている人が書かれていましたね。

そういう人は何だと、イエス様は言われていましたっけ?
今できることは、今やっておくといいですね。

メッセージ

今日のメッセージの中で、万代先生と西田先生の出会いから共に歩んだ時間が語られました。
天幕伝道に初めてやってきた西田少年と万代少年の出会いから、恒雄先生がなくなられた後、副牧師として十年仕えて、その後、東京でホープチャペルを開拓された話。
これらの思い出から、「召しに従って生きる」というテーマで語られました。
  1. 御霊の実の原則で。
  2. 一つの真理を目指して。
  3. 主キリストによって与えられる役割がある
  4. 信仰の一致を忘れずに
  5. キリストの体なる教会を立て上げる

礼拝の後の時間

PBF

松山から来られたご夫妻も参加し、PBFを行いました。
乗松姉の娘さんの水美姉は、神野姉妹に劣らない動きをしていました。
今日は、松山とつないでのPBFでした。

後方からのカメラと側面からのカメラで松山の方々が形をわかりやすいように切り替えるなど、作業はあるんですよね。

今日は松山での参加者が多く、インターナショナルデーに神野姉妹と一緒にダンスする方も参加されていました。

食事と試写会

今回は、前夜式参加組は十四時半くらいに出てしまいましたので、試写会の前半十分ほどしか見ていただけませんでした。前夜式もあり、あまり集中して見ておられなかったようですので、一回りしたら今回の作品をもう一回流せばいいかなと思います。
この写真を見ると、坂藤姉妹が映画を見ることを拒んでいるように見えますが、実は・・・
ディスプレーは後ろにもあるんですね。

全国聖会の前に映画会を行いたいと考えています。
これを読んでいる方々、予定が決まりましたら、ご連絡いたしますので、ぜひ来てくださいね。
野田先生も、お時間が合えば来てくださいね。

前夜式参加

映画が終わった後は、浅草に向かいました。
丁度、田原町の駅の出口で野田先生にお会いすることが出来てハレルヤです。
地上に出ると、猛烈な雨でしたので、一人だったらそのまま帰っていたかもしれません。
向かう途中に、野田牧師も、このブログを読んでくださっていたことを教えてくれました。
意外なほどに読まれているこのブログ。

こりゃ、重見先生も読んでくれているかな?

豪雨の中、教会の外に並んでいる人の多さ。
西田牧師の人となりがわかりますね。

会堂の中に入った後は、会堂の二階で先行のメンバーと合流しました。
先行したメンバーも、式には参加できず、雨の中、外で待ちぼうけだったそうです。
二時間近く待ってようやく献花をすることができました。野田先生は、先に献花を済ませ、ご帰宅されたようでした。
東京ホープチャペルを見て、懐かしいというか、久しぶりに普通の教会を見た感覚でした。
TWCは、店舗をお借りしているし、オフィスビルの一室なので、東京ホープチャペルのアットホームな教会の雰囲気に懐かしさを覚えました。

いらん事言いの秘密はパプリカ

帰りがけに、実に興味深い広告を見つけました。
パプリカの広告が池袋駅にありました。
一見すると、美しさの秘訣はパプリカであるといわんばかりの「秘密はパプリカ」という言葉と、自信に満ちた明朝体ボールドのフォント!

パプリカを食べると美しくなれそうな看板ですね。

でも、よく見ると、下の小さな字にこうありました。

「パプリカに含まれている栄養成分の多量の摂取は、
必ずしも健康増進、美肌効果が得られるものではありません。」

これは、韓国人のギャグなんですかね?

これを見て思い浮かんだのは、福音を伝えた後で、「でも、これは私にはそう思うのであって、みんなもそう思うかどうかわからない」と、言ったら、聞いた人は「アーメン」と、言うのでしょうか?

このパプリカの広告のように、偽物の言葉なら語らないほうがいい。
本物のいのちの言葉を語るならば、余計な一言をつける必要はありません。
 
広告のガイドラインに従ったのかもしれないが、一言余計な良い例ですね。

今週もハレルヤでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

プログラミングで神を賛美と、流行(はやり)は繰り返すと、賛美稽古

 令和六年九月八日 これを書いている今は、昭和九十九年の九月九日だそうです。SNSでは、一部の人たちの間で盛り上がっています。 みなさんは、昭和の時代に多くの教会で英語を宣教師が教えてくれていたというご記憶がないでしょうか? 私の高校時代の英語の先生も「英会話教室などなかった学生...