令和六年十月六日
TFCでの路傍伝道の第一歩を、万年橋からはじめまんねん。
TFCから至近の万年橋から路傍伝道の第一歩を始めた理由は、もう、言わなくてもわかりますよね。
あえて説明はしませんよ。
今日は聖餐式礼拝でした。
今朝は、朝ちょっと早く行って、福音を語るのチラシを配ろうと思いましたが、一枚もありませんでした。
礼拝の前に配るといいかもしれないと思いました。
場所や時間などの条件でできることがありそうです。
メッセージ
メッセージは使徒の働き二章の四十一〜四十七節の箇所から、はじまったばかりの初代教会の姿を通し、今では当たり前のものがない教会の信仰生活の姿から以下のポイントで語られました。
- 御言葉と教えのある生活
- 喜びと真心のある交わり!
- 祈りと聖餐のある日常!
- 一つ心で共に過ごす毎日
- 捧げ物で支えられた活動
礼拝の後の時間
急造だからという事もありますが、スペルミスがある状態でしたが、配ってしまいました。
配り始めたところ、ものの数分で十枚はなくなってしまいました。
チラシを受け取ってくれた方が、きちんと読んでくれているのを見ると、ハレルヤですね。
万年橋の上は、長めの信号に挟まれ、人通りが遮られるのがわかりました。
次は、万年橋から昭和通りの間をうろうろしながらチラシを配るようにしようと思います。
まずは、スモールスタート。
一人でも芽が出なければ、大集団でも芽は出ません。
一人でも、主が、用いてくれるなら、多くの恵みを与えてくださる。
その後、大久保の路傍伝道へ向かいました。大久保のコンビニのイートインスペースで、いつものようにこのブログを書いています。
路傍伝道
今回も、救われる人が与えられました。
菅野先生は、昨日まで東北の伝道旅行に行って、ほぼ毎日、路傍伝道をして走り回っていたそうです。
今回、私は、トラクトを配っていると、酒に酔って、こちらを睨みながら罵声を浴びせてくる若者を初めて体験しました。ちょっと惑いました。「この人には拳骨が必要か? それとも福音が必要なのか?」
すぐに離れて行ってしまったので、「残念。」と思っていたところ、このシチュエーション、どこかで聞いたことある。
そう、恒雄先生の話。「そうか、福音が必要だったのか」と気が付きました。勿体無いことをしました。
今回、菅野先生に「個人伝道は何をすればいいのでしょうか?」と、伺ったところ、「どうしたのって聞いて、祈ってあげればいいんだよ」と教えてくれました。
これなら、私もできますね。
路傍伝道を手伝っている方々は、各々他の教会の方が協力しています。私も少しづつ皆さんと会話ができるようになっています。
今週も主が共にいてくださって、私たちを用いてくださるように。
ハレルヤ。
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