令和七年二月七日
今朝は、先日、退院した門人と共に私の道場のチラシを配りに行きました。
今までは、ブログのみでの広告としていましたが、門人が道場のチラシを配りたいということを申し出てくれて、早速、路傍伝道や、集会で鍛えられたチラシ作成を用いて、チラシを作成しました。
門人が言い出して、2時間後にドラフトを上げたら、門人は驚いていました。
久しぶりに会いましたが、元気そうでした。(普通の人なら大病人のレベルですが)
彼と私で、板橋区の大東文化大の生徒をターゲットで配ろうと計画していましたが、まさかの入試日。
流石に受験前の高校生に配るわけにもいかず、西台駅まで戻り駅の前で、少しの時間配りました。
西台駅まで戻る道すがら西台の小学校に、常盤台にはみられない標識がありました。
「洪水時想定水深3.0メートル」
板橋区は、東西に地名で上板橋や、下板橋がありますが、南北では標高的に上と下があり、台地の上にある常盤台は洪水の危険はほぼありませんが、下にある志村、高島平は荒川放水路の決壊があった場合に洪水の恐れがあります。
最後に荒川が決壊した明治43年には銀座まで水に浸かったという記録があります。
この頃は高島平などは人が住める場所ではなかったんですね。この洪水の帝都復興で荒川放水路が整備され、継続的なメンテナンスでようやく人が住めるようになったそうです。
西台の駅まで戻り、チラシ配りのトレーニングをしました。
今日は、人の動線がわかりづらく、二分に一枚のペースでした。
門人も頑張って数枚配ることができていました。
入院している時には、もう終わりかと思っていましたが、チラシを配れるまで回復していることを、イエス様に感謝しました。
別れ際に、天国で共に稽古ができるようにと、主の導きを祈りました。
今度は、二月の後半に十条駅付近で配ろうと計画して帰宅しました。
私を通して、門人の健康が守られていることに、ハレルヤ!
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