令和七年一月二十九日
もう後二日働いたら一月も終了。
ちょっとこの前に年が明けたと思ったのに。
そう、何もしていないと、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
今月は、稽古具製作をしました。
後一日で完成ですね。3時間ほど、かがり続ければ終われそうです。
いよいよ、後二つを接合するだけ |
令和七年一月二十九日
もう後二日働いたら一月も終了。
ちょっとこの前に年が明けたと思ったのに。
そう、何もしていないと、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
今月は、稽古具製作をしました。
後一日で完成ですね。3時間ほど、かがり続ければ終われそうです。
いよいよ、後二つを接合するだけ |
令和七年一月二十八日
今朝は、家内と共に、娘の中学受験の時にどのルートで行けば問題なく行き着くことができるかのチェックをしに行きました。
都営三田線の駅がちょいちょい離れたところにあり、乗り換えなしで行けるので、朝の時間帯で自転車の駐輪場の状況の確認です。
最寄りは東武東上線のときわ台駅なので、そちらを使えばいいのですが、東上線は昔の中央線並みに人身事故の発生確率が高く、受験校までの乗り換えも多いというのが問題でした。
東京の乗り換えは、アップダウンが多いので、できるだけ乗り換えのないルートを選んでしまうんですよね。
駅の駐輪場も朝六時半ではまだまだ空いているので、受験の日も大丈夫そうです。
志望校の受験まであと五日となると、こちらの緊張感も高まってきますね。
子供に積極的に関われるのは十五歳くらいまでなので、親として子供が子供のうちに関われることに感謝ですね。
令和七年一月二十七日
娘の受験の本番を来週に控え、昨日の路傍伝道と、来週の路傍伝道は娘の体調管理のために参加を控えています。
先週の日曜日に私が猫をかぶってVTuberをしているチャンネルのハガキを配りました。
令和七年一月二十六日
今日は、日曜日、みなさん、礼拝に行きましたか?
先週の記事に書いた私の友人が無事に退院することができました。
先週の時点では、だいぶ衰えていた感じでしたので、大丈夫かなと心配していましたが、祈りは聞かれました!
今日は、入院しているなら、個人伝道をと考えていましたが、退院してすぐに、時間を取ってもらうのも良くないと思いますので、空振りとなってしまいました。
令和七年一月二十五日
今日の恵みを毎日書いていると、必ずなんらかの恵みがあることに気が付きますね。
今日は、私の剣術道場での体験稽古がありました。
昨今、闇バイトの強盗などがあり、体験稽古に関しては感謝もあり、恐れもありました。
今日の体験稽古者は、わざわざ福島県から体験に来られました。とても素直で、自分で考えることのできる方でしたので、本当にハレルヤです。
私の思う、武術の素質は、まず、素直なことです。
最近の若者は「推し」にお金を惜しまないという話を聞いていますが、遠く福島から来てくれたことに、感謝と共に「私の道場にそんな価値があるか?」と、へりくだらされますね。しかし、私の道場を、その人は、価値があると見てくれたのに、それを価値がないと言っちゃあダメですね
私自身が価値のない存在と思っていても、神様が、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(聖書・イザヤ書43章4節)と、言ってくれていますので、自分勝手に値踏みしないで、神様が価値があると言ってくれているのですから、それを信じます。
稽古の帰りに、コンビニでチョコボールを購入したところ、「銀のエンゼル」が!
エンゼルというと、「チョコボール」か「氷室京介」を連想しますが、今回はチョコボールのエンゼルです。※聖書ではエンゼルではなくて、「みつかい」ですね。
私が持っていると無くしそうなので、息子にあげました。
先日も出たので、ひょっとしたら箱買いしたら一箱に一つくらい入ってそうですね。
今日もハレルヤでした。
令和七年一月二十四日
テレワークが始まってから、地元のレストランや、定食屋、ファーストフード、ラーメンと、昼食に関わる店の探索が活発になり、地元の駅の自宅のある側に関しては大体行き尽くした感じがあります。
最近は、私の会社の社員となっている家内と共に昼食に出るので、ラーメン率が下がっています。
そんな中で、ランチが一人、二柴三郎(=北里柴三郎の千円札2枚=2千円)の、いつもよりも質のいいレストランに行きました。
私は、最初の職歴は調理士だったので、オープンキッチンでコックの作業風景を見るのが好きなんですね。職人の仕事の全てが調理場にあるので、調理士の仕事を見ていると、昔を思い出して、懐かしく思います。(私は大したレベルには達しませんでしたが)
このお店も丁寧な仕事をしているので、ランチとしても満足でした。
一人テレワークの頃は、ラーメン、中華、モスバーガーがルーチンだったので、食の面でも夫婦が共にいることで、恵みがありますね。私が一人だったら、きっと入らないお店ですからね。
令和七年一月二十三日
自分の剣術道場の話が多いですね。
多分、私は自分語りをしたいタイプなのかもしれませね。
おそらく存じ上げない方もおられると思いますので書いておくと、そもそも剣術と剣道とは違います。
剣道は、明治以降に数多ある剣術を統合して剣道としたものです。稽古人口も多く、試合などで切磋琢磨し、青少年の健全育成には役立ちます。稽古具の職人も多く、ある意味至れり尽せりです。
剣術は、古くからの流儀を守りつつ、今でも稽古を続けているものです。「〜流剣術」とか言われるのが古流だと思っておけば間違いありません。こちらは、型稽古で技術を学びます。稽古具の職人がいないので、稽古具に関しては、木刀以外は全部自前で作る必要があるんですね。
棒振りばかりでなく、針仕事や、細工仕事までこなさないといけないのが、剣術道場主の現実なんですね。私は、いくつかの稽古具を発明したり改良したりしています。
籠手(こて) |
昨年、初めて売れたので、今後のために技術を保存するために、年一で作るようにしました。今年は、新たに工夫をして、製作を進めています。
ちょっとした工夫で、強度も上がり、製作負荷は下がり、作業効率もアップすることがわかりました。新たな発見があると本当にハレルヤです。毎回、針で指を刺しまくって金属アレルギーで指がパンパンになりながら作成していたのですが、今回は、主の恵みで、ほとんど手を刺していません。
伝統的なものだからと言って、このように作らなければいけないというわけではなく、工夫して改善を施すのはとても大切ですね。
必要な知恵を与えてくださる主にハレルヤ。
令和七年一月二十二日
これで三日坊主は回避できました。
今日は、おととい、私の剣術道場に体験稽古の申し込みがありましたと書きました。
前の体験稽古は、もう何年も前で、久しぶりに体験稽古の申し込みが来て、神様に感謝しました。
今日も、また体験稽古の申し込みがありました。
本当に連続でというのはありませんから、ちょっと恐れを覚えました。
それも、今まではほとんど使われていなかったブログとは別のサイトのルートからの申し込みです。こちらとしては、私のブログから来て欲しいのですが、贅沢は言わないでおきましょう。
主よ、どうか、私を剣の技術だけの師ではなく、彼らの良い友人として、用いてくださいますように。
主にハレルヤ。
令和七年一月二十一日
今日で三日目。
明日書かなければ三日坊主の可能性が高くなります。
今日は、私の会社のお客様のところにご訪問して、今、携わっているシステムの端末の受け取りをしてきました。
コロナ第一波が始まる直前から縁のあるこの会社とは、ほとんど完全テレワークでのお付き合いです。
コロナ前は、セキュリティ管理のために、原則客先常駐での仕事でした。
今日は、お昼に社員である家内と馴染みの江戸前アナゴを食わせる店に行きました。
穴子天丼 |
なんで、何度も行っているあんなところで道に迷ってしまうか。
家内がスマホで調べ、ワンブロック先であることを教えてくれました。
私は、面倒臭がりであり、歩きながらスマホで字を打つという複雑なことはできないので、大体の場所を覚えているつもりだったのですが。
最近では、息子の方がスマホの使い方を覚えて、私よりも道に迷いません。
息子が現代に合わせて成長をしていることがにハレルヤです。
令和七年一月二十日
もう、何年ぶりだろう。
私の道場に体験稽古の申し込みがありました。
私の道場は、ブログの影響もあり、開場から一年で、一気に十二名になり、数年門人なしが当たり前の古武道業界で、あり得ない成長をしました。
しかし、流儀として稽古が厳しいということもあり、一年に三割減るという自然減や、トラブルもあり、私も師としての力量に悩むことも多くありました。
今では稽古参加者は、息子と、門人の親子だけと、いったん落ち着きました。
門人親子のお父さんの方が、私も羨ましくなるほどの才を持ち、私の剣術を確立するための良い弟子となってくれています。
彼を育てるために、体験稽古や新人の育成があると、落ち着いて稽古ができないので、申し込みがなかったこともハレルヤでした。
昨日、入院した門人と共に時間を過ごし、ただの剣術だけの先生ではなく、天国まで一緒にいられる師弟関係を大切にしたいと思っていた矢先の体験稽古の申し込みで、これも神様に感謝しました。
主が、私に与えてくださっている剣術道場を通して普通だったら出会うことのできない方々と出会うことができることに、改めて神様の恵みに感謝します。
今では、入門してくれなくても、体験稽古だけでもそれでも十分感謝できます。
令和七年一月十九日
今回からブログの形式を変えて、万代先生の言われる毎日の恵みをブログとして書いていこうと思います。
365日の更新チャレンジ!!!
今日の恵みは、「天国で共に剣術の稽古をしよう!」です。
結構重めの持病を持つ私の友人が倒れ入院したというので、礼拝から帰宅の道すがら、息子を連れてお見舞いに行きました。
友人は、私の道場の門下生で、彼との出会いは、大病を抱えながらも、稽古の見学に来て、「病に負けてみっともなく死ぬよりも、日本人として気高く死にたい」と言われ、入門の意思表示をしたので、その心意気に、稽古中に死なれては困るが、入門を許可しました。
入門後も、体調が安定しないで稽古にほとんど来れなかったのですが、ブログやSNSなどで、情報を共有して、健康で若い者たちが辞めていく中でも、彼は、道場を辞めることなくつながり続けています。
彼は、私がクリスチャンであることも、受け入れてくれています。
見舞いに行くと、想像より衰えている感じでしたが、久しぶりに会話をし、三十分ほどの時間を過ごしました。
帰りがけに「祈らせてくれないか?」と、聞いたところ、快く祈らせてくれました。
自分の家族や、教会や、路傍伝道などで、祈ることはありますが、その友人のために祈るのは初めての経験です。
この世では、病気の体のために、共に稽古をすることもままなりませんが、天国で共に稽古をできるように、彼にも天国へのチケットを渡しておかないといけないと、改めて思いました。
彼に伝えないといけない言葉は、「天国で共に剣術の稽古をしよう!」です。
また、来週も礼拝の後に見舞いに行くことを約束したので、来週は彼に個人伝道をしようと思います。
今日もハレルヤでした。
令和七年一月十一日
今日は、ユニークさんの403号室をお借りしての礼拝でした。
今日のメッセージは、創世記十二章一〜三節の箇所から今年のテーマである「恵みの震源地」に関して、以下のポイントで語られました。
帰りに銀座の伊東屋に寄り、スケッチブックを購入しました。
これは、路傍伝道の時に用いるためのツールを作成するためです。
さすが伊東屋、種類は豊富 |
私は、礼拝に参加して賛美していることで、歌は多少は歌えるようになりましたが、路傍伝道ネットワークの菅野牧師のようにピンで何とかできるほど訓練もされていないし、楽器の心得もないので、賛美以外で伝道をできる方法はないかと思案をしていて、示されたのは、「大人の紙芝居」伝道方法です。
紙芝居については、TFCが献堂された頃に、いのちのことば社の紙芝居のPDF版を購入し、子ども用の動画を作成しました。TFCには息子を含め数人しかおらず、一、二回利用されただけで、購入しておいた紙芝居PDFは塩漬けされていました。
だいぶ懐かしい感じですね |
ちなみにこの時の、紙芝居動画のアイデアは、生中継の奉仕の経験を経て、そのまま聖書通読ライブの動画のアイデアに進化し、私のWeb界隈の伝道活動に用いられています。
紙芝居がVTuberに進化 |
よかったらチャンネル登録よろしく。 |
いつもそうですが、ものづくりは最初から完成品を求めず、今イメージしているものを実際作ってみて、どれだけ想像と乖離しているかを確認します。
いい感じなので、文章を大人向けにアレンジすればOKそうですね。
そして、紙芝居のように一枚一枚バラバラだと、風に吹かれて飛ばされることを考えて、まとまっている、スケッチブック型の紙芝居の方が良いという考えです。
今年は、新年の明治神宮の路傍伝道の時や、今週もそうですが、チラシを渡していると、話しかけられて会話をすることが続きました。
話しかけてこられた方は両者とも、宗教に関しては博識なようで、表面的な知識は豊富な方でした。
しかし、会話をしている中で、その人の宗教の知識の中心に神様がいないことが感じ取られました。宗教の知識があることはいいことですが、その真ん中に神様がいないので、語られることは荒唐無稽なことか、どこかの本に書いてあるようなことばかり。
言うなれば『ドーナッツ人間』ですね。
おそらく宗教に興味があるということは、何らかの餓え渇きがあるのでしょうが、求道のプロセスが間違っていたのか、知識は得られても神様に出会うことがなかったんだろうと感じました。
エチオピアの宦官が言っていた、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう(使徒8:31)」という、その意味がわかったような気がします。
今日会話をした方は、会話をしていて、心に寂しさがあるように感じましたが、知識が神様を受け入れる邪魔をしているようでしたので、無理に押し付けるのではなく、「私は来週もいるから、またね」と、言って別れました。
人生に迷っている人、心に虚しさがある人、自分で何とかしようとするのではなくて、「餅は餅屋」、「救いのことは伝道者」に頼ってくださいね。
今日のカレンダーに書いておく恵みは、これですね。
今週もハレルヤでした。
令和七年一月五日
今日は、息子の塾の冬季講習が十二時二十分からあったこともあり、第二礼拝に参加してから移動しては間に合わないと思い、普段は行っていない、第一礼拝に参加しました。
今日のメッセージは、聖書個所はルカ八章二十八節から三十九節で、以下のポイントで語られました。
第二礼拝では、成人の祈りがあり、東京福音センターからも新成人の姉妹が参加されていました。
今日は、第一礼拝に参加して息子と昼食を摂り、塾へ送って上板橋に戻ってくると、まだ十三時前。
最近、大規模に街の構成が変わっている駅前を見て歩きました。普段、第二礼拝に参加していると、ありえない時間に地元にいるのも、これはこれで恵みでしたね。
そして、いつもの夕方の路傍伝道。
いつもは、結構参加される方が多いのですが、今日は、正月三が日で、皆様力を使い果たしたのか、三人での路傍伝道でした。今日は、正月に着たビブスを着ての伝道でした。この前のように、チラシ配りで110番通報された時に、路傍伝道のメンバーだということが一目でわかってもらえるというのもあります。
今日は、歩いている人々の数は相変わらずな感じでした。
チラシを差し出す時に、日本人だけでなく外国人にも、「あけましておめでとう」「あけましておめでとうございます」と言ってると、一時間で3000回近く「あけましておめでとう」を言うことになって、「あけましておめでとう」が意味的飽和をして、何のことかわからなくなりますね。
でも、外国人であっても日本に来るために最低限の日本語は準備しているので、「あけましておめでとう」は、確実に伝わっています。
相手の目を見て「あけましておめでとう」と言うと、日本人は目を逸らしますが、外国人は、笑顔でトラクトを受け取るか拒否をしてくれますので、ある意味、外国人の方がきちんとした対応をしてくれます。
大久保は、日本人が少ない特殊な環境なのですが、様々な人々で比べることができ、日本人へ伝道の対応方法も学ぶことができるのは、これもまた恵みですね。
今週もハレルヤでした。
令和七年一月元日
明けましておめでとうございます。
日本は、皇紀として2685年(国内の記録ではありますが)、世界的には、それでも千数百年の歴史を持つ世界で唯一の国家であります。
ちなみに、ブログの日付に西暦を使わないのは、記者が日本人であり、日本の先人の文化に対しての敬意を持っているからです。
今日は、水曜日ですが、正月の聖餐式礼拝でした。
昨年は、元日が日曜日でしたので、あまり違和感がありませんでした。
正月なので、帰省されている方々が多かったですね。
先にも書いた通り、日本は長い歴史があり、さまざまな時代のさまざまな思想などにより、いろいろなイベントが形だけになって、本来の意味をなさなくなっていることが多くあります。
万代先生のメッセージの中で正月の風習についての話がありました。
伝統的な日本の正月のタブー行動として、「掃除や洗濯をしてはいけない」、これは、縁起のいい正月の成分を掃き出したり、洗い流したりしないため、「料理をしてはいけない」、これは、かまどの神様が怒るから、だそうですね。
きちんとした神様のイメージを持っていないから、高尾山のオクトパスもそうですが、縁起が良さそうなら、なんでも語呂合わせやダジャレでもありがたがって、担げるものはなんでも担いでしまうんですね。
神様のことをきちんと知っていることの大切さが理解できますね。
<集会日程> どなたでもご参加いただけます! -------------------------------------------------------------------------- <2025 年> (予定) 4月10日 (木)pm7:00-9:10 ※...